コメント

 この詩にはどんなメッセージがこめられているのですか訊かれると、私は困惑してしまいます。詩はメッセージではないというのが私の立場ですから。メッセージを伝えるのではないとしたら、詩とはいったい何なのかと問われたら、不遜にも詩をたとえば路傍の野花のような存在にすることが、私の見果てぬ夢ですと答えます。
 この映画は人間が言語によって宇宙を、自然を意味づけ、それをエゴイスティックに利用している事実に対するおおらかな批評であるとも言えるでしょう。樹木も海も人間が与える意味をはるかに超えて、太古から存在し続けてきました。それらを愛するとともに畏れ敬うことを私たちはともすれば忘れます。
 ここに登場する人たちは、自分たちも樹木や海と同じく自然の一部であることを、言葉ではなく行動と経験で知っている人たちです。限りない宇宙に生きる慎ましい存在としてのホモサピエンス、科学知識によって世界を知るとともに、私たちは直観によって世界を体感する能力をもっているはずです。その能力を失いたくないと思います。

谷川俊太郎(詩人)

 何番もの龍村さんの「地球交響曲」には、そのつど心の中の保留倉庫に静かな斧を打ち込まれているようで、忘れそうになっていることを思い出せてくれた。
 ハイポニカの野澤重雄、ジャック・マイヨール、森のイスキアの佐藤初女、ヒグマに襲われた星野道夫、リーキーとチンパンジーにすべてを捧げたジェーン・グドール、石垣昭子、ブダペストのアーヴィン・ラズロー、上野圭一からずっと聞いていたアンドルー・ワイル、いずれも重くて、深くて、優しかった。
 第8番も格別だった。樹霊の能面からグァルネリの音へ、ヴァイオリンの木から気仙沼の瀬織津姫へ、牡蛎の海から神宮に響く歌曲へと調べが移り、天河神社とクレモナと3・11の大津波の記憶がつながっていったとき、その奥から楽器の命と舟の勇気と擬死再生の言葉が紡ぎ出されていた。

松岡正剛(編集工学研究所所長)

龍村監督と「地球交響曲」第八番

 ぼくが龍村仁監督と出会ったのは1992年バリ島調査のときだった。この出会いはぼくの人生を変えるほど大きなものだった。その前年までニューヨークのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチに客員教授として出かけており、戻って1985年以来続けていたバリ島調査に再び取りかかろうとしていた矢先のことだった。
 龍村監督はちょうどその年、これまで見たテレビドキュメンタリーのなかで最高と思われる「宇宙からの贈りもの」(TBS系)を発表し、さらに、「地球交響曲」(ガイア・シンフォニー)第一番を撮影しているところだった。以前から知り合いだった井出朝子さん(イデアオフィス代表)が撮影の手伝いをしており、伊藤俊治さん(東京藝大教授)が出演するというので、バリ島のモンキーフォレストに出かけていった。それが龍村監督と出会った最初だった。そのとき、だれをも魅了する笑顔で迎えてくれたのをよく憶えている。
 そんな縁もあって、第一番のプログラムにエッセイを書かせていただくことになったのだが、そのときにはまさか「地球交響曲」が第八番まで撮れるようになるとは思ってもみなかった。撮影には大変な費用が掛かるので、それをサポートしてくれるスポンサーを見つけるのも容易ではなかったし、コマーシャリズムにのる映画でもなかったからである。
 その後、自主上映のようなかたちで封切りになったわけだけれど、それに賛同した多くの人々が喜びの声を挙げてくれたのは予想どおりで、上映運動は全国に広がっていった。その後、二番、三番とつづき、第七番(2010年)まで制作された後に東日本大震災が勃発し、日本中が動転するような大騒ぎとなった。もはやこれまでと思われた「地球交響曲」シリーズだったが、それを乗り越えて第八番がつくられたのはまさに奇跡というほかない。
 まさにこういう時にこそ「地球交響曲」が必要とされるのである。自然が尊いのは生命をつなげていくからで、一本の樹木はいくら姿を消しても、そのまま生を終えることはない。そうした鎮魂の思いをこめた第八番の完成を心から祝福したい。

植島啓司(宗教人類学者)

 植物は早くから細胞内に葉緑素を取り入れ、光と水と二酸化炭素があれば、自分で養分を作ることが出来た。おかげで動き回って餌を探す必要がなかった。変わる環境の中で耐えて、生き抜く術を求めて変化してきた。彼等はじっと立ち続けることが、生きることであった。立ち続けることに適した幹を持つものが出てきて、樹木となった。植物には木も草も明確な区分けはない。年ごとに形成層を作り、年輪を刻む者を樹木と呼んでいる。樹木は時をためることが出来る。幹を太らせ、枝をひろげることで命を長らえることが出来るのだ。餌を求めて歩き回らなければならない動物たちは一生の殆どを餌取得のために費やさざるをえない。残念ながら、命そのものである人間は自分を見る視点を持っていない。同じく木も自分を見ることは出来ない。宇宙の真理は、遺伝子が二本の螺旋を選んだように、ひとつの対をなす形を安定と見なしている。
 私はたくさんの木の声を聞くことを仕事にしてきた人達に会ってきて、あることに思い当たった。動くことを止めた木は、自分を映す鏡として、人間をパートナーに選んだのではないだろうか。彼等は私達より20億年も早く場に出現し、時の中で過ごしてきた。人間は少しばかり乱暴で、浅はかだが、命とは何かを考えることが出来る。時空という宇宙の真理について考察できるようになった。そして、木の命や生き方を読み取り、それを活かすことを学んできた。千年の寿命の木を新たな千年の材に変え命を延ばす術を知っている。木の中に潜む命という波長を楽器に変え楽しんでいる。木を面や像という形に変え命や喜びを再現することが出来る。少なくとも人間の生きる力の中には、地球(ガイア)を感じ取る力が秘められている。木の意志は、時に樹霊や精霊の形をとるのかもしれない。この映画を見ていると、宇宙における木や人間の役目の一端に気づかされる。

塩野米松(作家)

「地球交響曲 第八番」に寄せて

 祖母や父に聞く話は、私を深い森に誘うのでした。十分な言葉を覚えてはいなかったであろうが、言葉の間と間にも多くの意味を感じ取って、連繁する想像の内に、いつしか森の存在に特別な想いを抱くようになっていたのです。森は単なる樹の集合体ではなかったのです。
 その森を象徴しているのが「キジムナー」でした。「キジムナー」は樹の霊性なのですが異空間を自由に移動する者の象徴でもありました。物心つく頃には身近に「キジムナー」を感じて、その霊的出入口である古樹には、既に深い畏れを抱いていたものです。
 普段は森の奥深くにある古樹を住処にしているのですが、しばしば子供や小動物に姿を変えて人前にその姿を現すのです。全体として小さく赤い体をしているのですが、神出鬼没を旨とする者です。樹の虚やあるいは植物そのものを通路にして顕現する場合が多いと言われるのですが、目には見えない、霊的空間と現実の世界とを植物が真に介在しているのではないでしょうか。
 私達動物は植物の存在無くしては生存できません。植物もまた然り、両方に保障し合う密接な関係性は言うまでもありません。
 この度の「地球交響曲 第八番」を観ていて、私はしきりに「キジムナー」の声を聞いている気がしてなりませんでした。笛のような、あるいは鯨の鳴く様なあの遠い音は、見えている世界と見えていない世界とを行きつ戻る霊性を象徴しているように思えてならないのです。 
 世界中の文化には、老木に精霊が宿るという伝説がありますが、これは人類が心の深淵において、あるいは自らの霊性において植物との結びつきを理解しているからに他ならないものと考えるのです。
 地球の生命の代表である事を自認しなければならないと言える私達人類は、全世界的に「樹の文化」をつくり直さなければならないと思います。それが私達自身を、ひいては地球環境そのものを清らかに健やかに保つ唯一の方法だと考えるからです。
 「地球交響曲 第八番」は、私に再度「樹の文化」の重要性を認識させる機会になりました。

2015年2月4日 名嘉睦稔(版画家)

 樹々との鬩ぎあいとの中で、人類の叡智を結集したこの壮大な交響曲。
 それは何も言わず、ただ観ていただきたいと思う。龍村監督の心に共感する。
 ベートーヴェンの第九交響曲に匹敵する龍村仁の第九交響曲を心から待ち望んでいます。

小林研一郎(指揮者)

 四半世紀近くも前に、このままでは地球は、いえ、私たち人類は、かなり病んでいくから、早く気付こう...そして、始めよう....出来ることから、動き始めよう...
 そんなメッセージを通奏低音に響かせながら、私たちに届けてくれてきた『地球交響曲 ガイアシンフォニー』。ある時は、軽やかな「メヌエット」で。ある時は燃えるような情熱を生きる、素晴らしい人々の生き様を奏でることで...。  自分の生き方に霧が立ち込めるとき、ここへ戻れば、必ず何かをリフレクトしてくれる「鏡」のような作品群でした。
 監督、わたしたちの首は、随分長くなってしまいました。ずっと待っていました。でも、待っていた甲斐がありました。ほんとうにありがとうございます。
 8番!素晴らしい調べです。
 これまでの、世界に生きる人々を紡いできて下さった曲調は、世界へ発信すべき日本古来の、この国に生きてきた様々な「魂の声」を共鳴させる、新たなシンフォニーへと昇華。わたしたちも、「いのち」を創る「樹の精霊」に包まれていきます。
 何人にも防ぎようのない「天変地異」に、どのように対峙し、どのような「日常」を営んで行こうとすれば良いのか。能面、楽器...「かたち」こそ変われ、すべての「いのち」を創り、育み、守る「みず」を生かし、繋げている「樹木」への深い感謝と、畏れに包まれます。
 地球の上では、いまも、ある「宗教」を語りながら、カタチのない「国家」を謳い、殺戮テロを繰り返す生き方や、資源の収奪を目的にする戦闘行為や差別など、まだまだ愚行の数々が続きます。
 この8番の調べが、地球に生かされている存在でしかないわたしたち、すべての「いのち」に共振し、共鳴の和が繋がっていくことを信じています。
 モーツァルトは、全部で45曲の交響曲を残してくれています。まだまだ、これからですからね、監督!

野中ともよ(NPO法人 GAIA INITIATIVE代表)