解説

樹の精霊に出会う 能面「()()()(じょう) 」の復活

奈良県吉野の山深くにある天河大辧財天社の宝物庫には、過去600年間、再び甦る日を待ちながら眠り続けて来たある能面が納められています。
「阿古父尉(あこぶじょう)」と名付けられたこの能面は、観世流の始祖、観阿弥から、二代目世阿弥、三代目元(もと)雅(まさ)へと受け継がれて来た由緒ある能面で、三代目元雅が、自らの手で天河神社に奉納したものです。この「阿古父尉」奉納にまつわる逸話には、二代目世阿弥、三代目元雅父子が辿った悲劇的な運命が隠されています。元雅は、父世阿弥を凌ぐ天才的能役者として将来を嘱望されていましたが、室町幕府六代目将軍足利(あしかが)義教(よしのり)に憎まれ、父世阿弥と共に突然、京都の能舞台に立つ全ての権利を奪われ、都から追放されたのです。
その失意の旅の途上、元雅は、吉野山中の天河神社を訪れ、万感の想いを込めて能舞台で舞い、その時つけた能面「阿古父尉」を奉納して、熊野方面へと旅立ったのでした。
その後元雅は、旅先の伊勢で幕府の刺客に暗殺された、と言い伝えられています。

この「阿古父尉」に突然復活の機会が訪れたのは2011年9月、天河大辧財天社が紀伊半島大豪雨害で甚大な被害を受けた直後のことでした。2年後の2013年に創立30周年を迎える東京の国立能楽堂が、その記念事業として作家、梅原猛氏に新作能の創作を依頼し、梅原氏はその主題として世阿弥と元雅の悲話を選びました。その際、舞台で「阿古父尉」を使いたいと天河神社、柿坂神酒之祐宮司に申し入れたのです。
天河辧財天社は、3.11大震災に続く、9月の紀伊半島大豪雨災害で、神社を取り囲む三つの山の深層崩壊によって生じた高さ30mに及ぶ大山津波に襲われ、神殿、宝物殿、能舞台はかろうじて難を逃れたものの、禊殿などの古来からの聖域が土石流に埋まってしまいました。この、人智をはるかに越えた大自然の営みに依ってもたらされた苦難を乗り越え、私達日本人が真の復活を遂げるためには、物理的復興より前に、まず、私達日本人の魂の甦りが必要だ、と考えていた時、今回の「阿古父尉」の復刻の願いが宮司の下に届き、柿坂宮司の随神(かんながら)の決断がされたのです。

しかし、600年前の能面をそのまま舞台で使うことはできません。
そこで、当代随一の能面打見市泰男氏が選ばれ、「阿古父尉」の復活が始まったのです。能面は、単なる演劇のための仮面ではありません。樹の精霊に育まれた日本人の美意識が目に見える世界に顕現したひとつの姿です。能面を削り出すために選ばれた老大樹には、いまだ姿形を持たない無数の能面が潜んでいます。その能面のひとつを、能面打の匠(たくみ)が古(いにしえ)の姿形に学びながら、磨き抜かれた手技(てわざ)と祈りに依って目に見える世界へ誘い出してゆく。能面打が震(ふる)う鑿(のみ)の一刃一刃は、樹の精霊を表(お) )(面(もて))の世界に移し変える神事のようなものなのです。そして能面が完成する。その能面をつけて演者が舞台に立つ。その時、面に移し変えられた「宇宙の意志」が演者に乗り移り、観る人々を時空を越えた幽玄の世界へと誘(いざな)ってゆく。
「阿古父尉」復活のプロセスを克明に描く事に依って、日本人にとって真の「復活」とは何かを問うてみます。

樹の精霊の声を聴く ~ストラディヴァリウスと震災ヴァイオリン~

17世紀のイタリア、北部の古都クレモナに、「樹の精霊」の歌声を聴くことのできたひとりの天才的ヴァイオリン製作者がいました。アントニオ・ストラディヴァリ。彼が90年の生涯をかけて作った至高のヴァイオリン「ストラド」は、300年間世界の名演奏家達に愛され、弾き続けられ、21世紀の今も「ストラドを越える名器は人間の手からは生まれない」とさえ言われています。
ストラドはなぜ300年間も現役の名器として生き続けることができたのか?その謎に答えることのできるひとりのヴァイオリン製作者が21世紀の日本にいます。中澤宗幸、愛称ムーニー、兵庫県生まれ、72才、今ストラドを所有する世界の名演奏家達が、挙(こぞ)って彼の下を訪れ愛器の修復や調整を依頼しています。その数は50挺を越えました。彼がこんなことを言っています。
「ストラドは単なる楽器(モノ)ではありません。魂を宿した有機体・すなわち生き物です。生き物である限り身体(からだ)は必ず老いてゆきます。しかし、魂=樹の精霊は、歴代の名演奏家達が奏でた音魂を記憶し続けています。その音魂の記憶が、21世紀の秀れた演奏家と出会い、新たな美しい音楽として甦えることを願って私も修復・調整しています。ストラディヴァリは、樹の精霊の声にしたがってストラドを作ったのですから。」

3.11大震災の日、中澤さんは東京の工房で、一台のストラドの修復作業の途中でした。
想像を絶する宇宙的な力に依って、一瞬の内に崩壊してゆく人間の日常生活と生命の営み。その映像を前に茫然自失の日々が続きました。そんなある日、陸前高田の「奇跡の一本松」と破壊された民家の木材が「瓦礫の山」としてテレビに紹介されました。
その映像を観ていたきみ子夫人がこう言いました。
「お父さん、あれは単なる瓦礫ではありません。永年、家の柱や梁(はり)として人と共に生きて来た記憶を持っています。あの木や奇跡の一本松を使って新しいヴァイオリンが作れないかしら。」中澤夫妻は今、NPO法人「命をつなぐ木魂の会」を立ち上げ、震災ヴァイオリンとヴィオラを使った連続コンサートを続けています。
彼らも又「樹の精霊の歌」を聴くことのできる人なのでしょう。

心に樹を植える The Sea is longing for the forest

森は海の恋人 カキじいさん畠山重篤

畠山重篤さんは、気仙沼の青い海が赤く濁り始めたその原因が、海から遠く離れた室根(むろね)山の森の荒廃にある、といち早く気付いた人です。畠山さんを中心とした植林運動「森は海の恋人」に依って気仙沼の海は青さを取り戻し、「ここはカキにとって天国のような海ですね」と絶賛されるまでに回復しました。
それから暫くして、3.11の大津波が気仙沼を襲い、畠山さんのカキは全滅したのです。一命は取り留めたものの、最愛の母を失い、海から全ての生きものが姿を消しました。そんな絶望下で、彼はこう言いました。
「ここは天国と地獄が共存する海です。自然とはそういうものです。」
畠山さんはなぜ25年以上も前に、海の汚れの原因が森の荒廃にある、と気付いたのか?そこには、室根神社に奉られている「瀬織津姫」の存在があったと言います。「瀬織津姫」は、人間の営みが生み出す罪穢れを川の早瀬で祓い浄め、健やかな真水を海に届ける縄文の女神です。幼い頃から室根神社の祭りに親しんできた畠山さんは、無意識に「森と川と海」の人智を越えた絆を感じていたのかも知れません。

4年に一度、室根神社では大祭が行われます。気仙沼の海の民が、夜明け前の海で海水を汲み、室根神社に運び、その御神水で御神体を淨め、そこから祭りが始まります。震災後初めて行われる平成25年の大祭では、畠山さんがその大役を担います。この大祭をクライマックスに、畠山さんの“魂”の復活と”海”の復活を描いていきます。

畠山重篤・著作: 
童話「カキじいさんとしげぼう」(講談社)
「日本<汽水>紀行―『森は海の恋人』の世界を尋ねて」(文藝春秋)
「森は海の恋人」(文藝春秋)